机上の空想 -on the armchair-

エロゲを中心に(広義の)ビジュアルノベルに関するレビューやエッセイを主な活動にしてるつもりのブログです。6月24日より旧ドメインから正式移行しました。

あれこれ

2012年前後に商業化した同人ノベルサークル雑まとめ

去年もMGS(最近使ってない)で似たような記事を書いたのですが、近頃同人から商業に活動の場を移されるクリエイター・サークルさんを多く見受けられる気がします(自分の知識がついただけという気もしないでもないですが……)。

特に夏コミ以降、よく知るサークルさんの商業化の知らせが続けて入ってきたもので、これはなんかもうまとめとかないといけないんじゃないかというよく分からない義務感に駆られました。

――ということで、2011年以降に商業化した静的(というかノベル系)同ソサークルさん方を把握してる限りで整理してみました。雑ですが。
「商業化した」という判断は、スタッフ(絵師、ライター、スクリプト、音楽……)が複数人引き継がれてるかどうかを基準に。絵師さんだけ・ライターさんだけが商業デビューというパターンは今回除外(してると思う)。タイトルやブランド名を引き継いでる場合は判断するまでもないですが。

(追記)
ここでいう商業、というのは商業流通のことを指します。個人か企業か、という問題ではないので注。
→参照:商業同人についての覚書



(14/3/13更新)

◇2011年発売

■トラウムブルグ七番地 (『Bye』など)
トラウムブルグ七番地
→SORAHANE (『AQUA』)
AQUA -SORAHANE ソラハネ- 『AQUA-アクア-』はじめました。「命」と「絆」の近未来学園ヒューマンビジュアルノベル


CottonClub (『くれうた』)
→Iris (『闇色のスノードロップス』)
『闇色のスノードロップス』応援中!


■ルナSystem (『七ヶ音学園』など)
七ヶ音学園
→NanaWind (『ユユカナ』)
『ユユカナ』応援中!


■RIFF*RAFF (『オモイデあ~かいぶ』など)
→riffraff (『恋愛家庭教師ルルミ』商業化)
『恋愛家庭教師ルルミ★Coordinate!』応援中!


■スマイル戦機 (『誰が殺したコマドリを』)
→同名(同タイトル商業化)
スマイル戦機


■SherbetSoft(『リザイン』など)
→同名(『制服天使』)
『制服天使』応援バナー



◇2012年発売

■半端マニアソフト (『Indigo』など)
半端マニアソフト『Indigo』
→すみっこ (『はるまで、くるる。』)
すみっこソフト『はるまで、くるる。』応援中!
※まあ実質ということで


■VALLEL (『古本屋こほにゃ』など)
古本屋こほにゃ
→Reon (『FaintTone』)
FaintTone|Reon


LLERIA (『Summer×3』)
→シュガーハウス (『チューニングラバー』)
チューニングラバー中二病ドタバタラブコメディ


■ふぐり屋 (『その花びらにくちづけを』シリーズ)
ふぐり屋
→ゆりんゆりん (同シリーズ商業化)
ゆりんゆりん 『その花びらにくちづけを ミカエルの乙女たち』 11月30日発売!



◇2013年発売

■ふぉらん (『オルフェウスの銀琴』など)
ふぉらん
→SMILE (『ラブレッシブ』)
ラヴレッシブ


■宴 (『クリアレイン』など)

→ヨナキウグイス (『運命予報をお知らせします』)
ヨナキウグイス
※曰く「宴とは別物になります。(商業へ移行したわけではない)」とのこと。


■non color (『わーすと☆コンタクト』など)
non color
→HARUKAZE (『らぶおぶ恋愛皇帝 of LOVE!』)
『らぶおぶ恋愛皇帝 of LOVE!』 一之瀬ルキナ


■れいんどっぐ (『僕はキミだけを見つめる』など)
れいんどっぐ
→インレ (『ChuSinGura46+1』商業化)
インレ『ChuSinGura46+1 -忠臣蔵46+1-』


■ガイコツけんぽ (『rubellite』など)
ガイコツけんぽ
→Garden (『ラブレプリカ』)
『ラブレプリカ』応援中!


なんか忘れてるような気がする程度には多い……。
「これ入れるべきじゃね?」な情報や、「これ間違ってね?」的な指摘など、何かあれば教えていただけると幸いです。

エロゲのエロとは何か

(初出:2011年12月 紙媒体)



0.序
 「エロゲにエロは必要か」という議論は、美少女ゲームユーザーの間でしばしばなされるもので、かくいう私も、二年ほど前にこの題目で執筆したことがある。

 しばしば議論がなされるということは、未だ結論が出ていないということでもある。単純な二元論でないのだから当然といえば当然なのではあるが、しかし、彼らの議論は往々にしてそれ以上の意味でまとまりを欠いているように思える。それはなぜかといえば、彼らの間でエロゲという存在の、あるいはエロゲにおける「エロ」の役割についての認識の齟齬があるまま「エロゲなのだからエロくないといけない」「エロが重視されてなくても面白いものはある」などと意見の主張が行われるからだ。

 エロゲには泣きゲー、抜きゲー、シナリオゲー、ギャグゲー、ノベルにアクションにシミュレーション……など、ジャンル分けしようと思えばいくらでもできるほどに多様な形がある。それらをエロゲという一つの概念に押しこめているのはただ一つ、エロの存在、つまりは性的表現の有無だけだ。そのことを考慮しないで、そのあり方について「エロゲのエロはこうあるべきだ」などとひとくくりに議論ができるほど、エロゲというものもエロというものも単純ではないのである。



1.エロゲの三つの側面 ~ポルノ、芸術、キャラクターコンテンツ
 エロゲにおける性的表現の実態を考察するにあたって、エロゲは少なくとも三つの側面からとらえられる必要があると私は考える。

 一つは、ポルノという側面だ。オタク文化に造詣のない人に「十八禁ゲーム」のイメージを尋ねたなら、恐らくは多くがこの側面に触れるであろう。いわゆる抜きゲーと呼ばれる作品群で主に強調されているものである。

 二つ目は、芸術としての側面である。芸術、などというと大げさで違和感があるかもしれないが、ここではたとえば「展開の面白さ」や「文章の面白さ」といった娯楽性を含めた言葉として使いたい。テレビドラマやハリウッド映画を芸術と呼ぶような感覚であると思ってほしい。つまりは、制作者の「表現物」であるという側面であり、たとえば文章やCG、音楽などの素材の良さが売りとなる作品などで強調されるべきものである。

 三つ目は、キャラクターコンテンツとしての側面である。アニメや漫画、ゲームといったオタク文化の大部分において、キャラクターを商品として売ることが産業として成立している。この場合、実は作品本体はキャラクターにとって不可欠なものではない。
 たとえば、ハローキティやミッキーマウスなどを思い出してもらえればいいのであるが、これらのキャラクターがどのようなお話のキャラクターなのか答えられる人はほとんどいない。そこまで極端にならずとも、作品がキャラクターの個性の補完程度の役割しか果たしてない事例もアニメ産業をはじめとしてよく見受けられるものである。二次創作という文化はこの面がなければ存在しえない。美少女ゲームでの例を挙げるなら、すーぱーそに子などがこの側面が特に強調された存在であろう。

 もちろんこれらの側面は明確に区別できるわけではなく、多くの場合複合的に作品に反映されている。



2.「作品価値」としてのエロ ~エロが作品内容に対してどう貢献するか
 このとらえ方は、そのままエロゲという「作品」における性的表現の役割についても適用することができる。すなわちエロゲの性的表現には、ポルノ的な性的表現、芸術性の性的表現、キャラクターコンテンツのための性的表現の三つがあり、これらを満たしていることがエロゲにおける性的表現の価値を決める要件となるのだ。

 ポルノであれば、扇情的な描写をして性的興奮を呼び起こすことができればいい。芸術であれば、性をテーマとした物語を構築したり、性行為によって恋愛の機微を表現したり、下ネタを使って笑いをとったり、あるいは裸体そのものを美しく絵に描いたり痴態の持つエロスを表現したりしてもいい。キャラクターコンテンツにおいては、性的表現によってキャラクターの個性を広げたり深めたりすることなどが役目となるだろう。

 こういった性的表現が持つ価値もまた、それぞれ明確に区別できるわけではない。
 そして、注意しなければいけないのは、性的表現が目指すのはこれらの要件の内の「どれか」なのであって、「全て」では決してないということである。どれか一つを満たしていれば、ほかの部分は捨て去っても構わないのだ。
 性をテーマとした文学作品がポルノとして優れていなかったところで非難される理由がどこにもないのと全く同じように、たとえばドラマ性を排してキャラクターコンテンツに徹した作品を、性的描写にストーリー上の必然性がなかったといって非難するのは筋違いなのである。
 そう、「エロゲにエロは必要か」という問題は、「エロゲはエロくあるべきか」ということとイコールではないのだ。ポルノはエロくあるべきだが、そのほかの場合においてはその限りではない。それよりはむしろ、「エロゲはエロゲである必要があるか」と表現した方がこの問題を正確につかめるだろう。

 作品の目指す方向性に合った要件を性的表現が満たしていない場合、作品の質は損なわれる。いかにポルノとして優秀であってもそれでストーリーが破綻しているようなら、シナリオゲーとしての評価は下がるし、リアリティやポルノ性を追求するのに終始してキャラクターの魅力を削いでしまうようなエロの使い方は、キャラクターコンテンツにおいては邪魔でしかない。
 ただし、だからと言ってそういった場合に性的表現が無価値となるわけではないことには注意しておきたい。制作者の意図しない部分で評価されている作品というのは決して少なくないし、そうでなくとも「制作者の目指す方向通り」であるかどうかなど消費者にとっては大した意味を持たない。ただ、総合して作品の完成度が低まって見えるという程度で、性的描写そのものはなんかしらの価値は持ちえるはずある。
※ただしそれも、あらゆる意味で価値がなかった場合を除いては、である。先に述べたどの要件を満たさない、つまり「抜けない、意味ない、可愛くない」というような三拍子が揃った性的描写に限っては、これは無価値であると言うことができる。もちろん、ここには主観的な要素が入ってくることを忘れてはならない(無意味を持って意味をなす、という芸術作品もありえなくはないのだから)。



3.「商品価値」としてのエロ ~広告材料としてのエロ、付加価値としてのエロ
 「エロゲにエロはいらない」と主張する消費者たちの注目しているものは、恐らくはこれらの邪魔な、あるいは無価値な性的表現なのであろう。逆に言うと、「エロゲにエロはいらない」派にとってのエロがいらないものでしかないということは、つまりは彼らの目に入る性的表現の多くが無価値なものでしかないということでもある。かくいう私も、現在のエロゲにおける性的表現が先の要件を満たせているかというと悩まなければならない程度には、そういった質の性的表現が跋扈しているように感じる。

 「無価値な性的表現が横行している」ことをとりあえず事実と認めるとして(この仮定の正当性についてはここでは議論しない)、なぜこのようなことが罷り通っているのかといえば、性的表現の存在そのもの、つまり「エロゲであること」に価値が生じることがあるから、である。「商品」としてエロゲを売り出すとき、エロというものは「作品価値」とはまた違う振る舞いを見せている。

 エロゲというのは、消費者にとっては「買って(数時間ほど)やってみなくては分からない」ものである。芸術性にしろ、ポルノ性にしろ、その良し悪しの判断はそもそも主観的なものにしかならない上に、特にエロゲという形態は「見れば分かるもの」ではないので、それを吟味するためには「試しに買ってみる」しか手段がない。
 したがって消費者がエロゲを購入するときに基準とするものは、中身そのものではなく、メーカーによる広報や口コミなどの事前情報となるのである(これはエロゲに限らず多くの「鑑賞する」商品についてもいえることであろう)。一方で、制作者側にとってエロゲは極端にいえば「売れれば勝ち」な「商品」でしかない。芸術性を目指す向きももちろんあるが、なによりもまず商業的に成功……と言わずとも、最低でも失敗を回避しなければ、制作者側にとって作品を作る意味がない。

 ここから何が起こるか。おおげさに言うと、「制作者は宣伝にさえ力を入れればよく、作品については激しく評判を落とさない程度に質を維持するだけで構わない」という構造が生まれるのである。作品そのものの質は端的に言って売り上げに直結するわけではないのだから、売上本位で考えれば真に力を入れるべきは宣伝、事前情報の提供である(視点を変えれば、作品の内容は「自分たちはこんな商品を作れますよ」という次回作以降に関しての宣伝ともいえるのであるが)。

 そしてその宣伝において、エロの存在は強力な材料だ。なぜならば、性的表現があるという事実だけで見た目には「ポルノ」という要件が満たされているからである。エロゲにはCGという素材があるので、ポルノとして不足ないように見える質の「絵」を最低限の枚数用意できれば、少なくとも売買の段では立派に商品として成立している。そこで作品がとんでもなく質の低いものだとしても、(口コミなどが存在しない)初動の売上にはあまり関係がないので、「質は高いが話題にもならず全く売れなかった作品」と比べれば商業的には成功である。
 極端な例を出せば、CGが異常に少なくエロシーンも絵が表示されないなどという、ポルノとしてはもちろんどの視点から見ても「地雷」というほかなかった例として『魔法少女アイ参』がある。これも発売前の段階では相当に期待されていた作品であり、事前情報と作品本体の乖離ぶりが見て取れる例であろう。

 また、特にキャラクターコンテンツとしてのエロゲに特徴的な現象として、「あるキャラクターのエロがあること」そのものに付加的な商品価値が生じる、というものがある。アニメキャラの様々な絵柄のグッズ――たとえばポスターや抱き枕など――が商品として価値を持つのと同じように、「あるキャラクターのエロを見ることのできるメディア」であることそのものが商品価値を持つのだ。ファンディスクで見られる「非攻略キャラのエロシーン追加」などが分かりやすい例だ。
 こういった場合、エロはグッズの一形態とみなしすことも出来る。例を挙げるなら、近年のminoriやKeyの「十八禁パートの後付け」という販売方法がまさにこの体現であろう。これらのメーカーの作品に対してポルノ性には期待するのははっきり言って見当違いだし、後付けということからしてシナリオ上の必然性も存在しない性的表現であるのは自明なのであるが、それでもエロがあると欲しくなってしまうのが消費者の性なのである。
 また、ここでのキャラクターという言葉を、声優や絵師、あるいは(全年齢の)作品などに置き換えてもいい。たとえば、二〇一一年現在においてもし「花○香菜がエロゲに参戦!」などという事態が発生しようものなら、彼女の性的表現に関する演技の実力がどうであれ、彼女がエロゲに出演したということそのものに話題性と商品価値が生じるはずである。そして同様に、これが岸田メルだったら、『Steins;Gate』だったらどうなるだろうか。

 すると問題なのは、これらの「商品価値としてのエロ」が、先に挙げた「作品価値としてのエロ」の要件を満たし得るかということである。
 理想的にはこれは全く別の問題なのであるが、実際には(その作品にそのようなものがあるかは別として)作品が目指しているものと性的描写を入れる理由が食い違っているのであるから、少なくとも作品の方向性に沿う形では満たさない場合が多くなることであろう。
 たとえばキャラゲーを目指しているにも関わらず、エロ=ポルノという短絡的な発想をもって、キャラ崩壊気味にヒロインに卑語を連発させるなどということになりかねない。ポルノとして勝負する気もない作品にこのような短絡的なエロの導入が行われたとき、それが作品にプラスに働きえるだろうか?
 そして、先に述べたような「売れれば勝ち」を突き詰めてしまえば、エロはとりあえず入れておけばよいものにしかならず、当然そのような場合には性的描写は作品価値の要件を全く満たさない無価値なものになり下がる。このような事態は作品という観点からすれば「商品価値の向上に対し作品価値が損なわれる」という悲劇にしかならない。



4.エロゲであるということのジレンマ ~「たかがエロゲ」を生み出すモノ
 エロゲには三つの側面があると述べたが、一般にエロゲなどというものはポルノとしか認識されない。実際、ポルノ性を完全に排したエロゲなど存在しえないであろう。芸術性とポルノ性――エロティカとポルノグラフィの境界、わいせつ性の判断の基準については、法律分野を初めとしてしばしば議論がなされ、いまだに立場によって見解が大きく分かれるところだ(児童ポルノ禁止法改案の議論が記憶に新しい)。

 そしてまた一般に、ポルノと認識されたものがポルノ以外のものとして受け入れられるには困難が伴う。特に近年はフェミニズムの観点から、性的表現は女性差別的なものだとして糾弾されることもしばしばだ。エロは、卑俗、アンダーグラウンドの域を出ることができないのである。なれば、たとえばエロゲ界隈で芸術性を評価されているような作品でも、外に持ち出してしまえば芸術性を持ちえない「ただのポルノ」としか扱われず、「たかがエロゲ」と一笑に付されることになる。性的表現が不可避な作品はこのことを前提としているかもしれないが、「商品価値としてのエロ」を後付けで用いたような作品の場合、その作品の本来の作品価値とは関係のない性的表現の存在によって、芸術性などの作品価値を評価される機会が奪われることとなる。また、法令によって作品に触れられる消費者(の年齢)が制限されるという問題も発生する。このような場合、「エロゲである」ということは作品としてはマイナスにしか働いていない。

 しかしだからといって、そういった作品が商品としてエロゲを脱却することにも困難が伴う。エロゲという商品の売り上げが、広報のされ方如何によって決まるという業界の構造があるからだ。「消費者がエロゲを購入するときに基準とするものは、中身そのものではなく、メーカーによる広報や口コミなどの事前情報」と先に述べたが、これはつまり、(作品価値という点で)良い作品が売れるというわけでは全くない、という意味でもある。特に「シナリオがいい」「キャラが(見た目以外の意味で)可愛い」などという判断は、制作者側から与えられる情報によっては判断できないわけで、どのような商品が「事前情報」のみによって売れることが可能かと言えば、「エロそう」「絵が綺麗」という事前情報時点でも分かりやすい材料があるもの、顕わな面に作品価値があるものに限られてしまうのである。

 そのような状況で「シナリオがいい」などの隠れた面に作品価値を求める消費者はどのようにしてエロゲを買うのか。なにしろ、(新作であれば一万円近い金を払って)買ってやってみなくてはならないのであるから、アニメなどと違って簡単に「とりあえず見てみる」というわけにはいかないので、当然のように腰が重くなる。
 そうすると、主には実際に作品をプレイした消費者たちの「~がよかった」という評価が購入時の大きな基準となるわけだ。そしてその評価というのは、実際に知人などから耳にするにしても、レビュー投稿サイトや掲示板など(でのいわゆる口コミ)で目にするにしても、その作品に触れた人が多くないと消費者まで届かない。匿名の評価は数が揃わないと信頼ができないし(この信頼性を捏造する、いわゆる工作というものも存在する)、実際にプレイした人の感想を聞くにはそれこそユーザー数がある程度大きくならない限りその機会を作れない。しかし、その評価をするユーザーもまた評価を主な購入基準にしているのだから……。
 結果、売れている作品ほどどんどんと売れていき、無名な作品はその中に埋もれていく。売れている作品はなんかしらの点で価値のある作品であるが、決して作品価値のある作品が売れるとは限らないのだ。

 また、芸術面を求める消費者にはいわゆる「クリエイター買い」をする層も存在するが、これも同様である。隠れた面を作るクリエイター、たとえばシナリオライターであれば、麻枝准や田中ロミオなど有名なライターならば評判が耳に入るかつ自らも作品に触れたことがある可能性も高くなり、彼らが執筆しているという事前情報が「面白くなるはず」という購入動機たりえる。しかし、そうでないさして有名でないライターともなるとそこまで意識している層は相当少なくなってしまうのである。

 このような状況で、隠れた面に作品価値がある作品が、商品として売れるにはどうすればいいか。
 それは、顕わな面での作品価値や商品価値を付与することで売上を確保することである。特に性的描写を入れる「だけ」なら、限りある人材素材からでもある程度手の届く範囲の工程だ。エロを入れればエロを求める一定の購買層が存在するのを、それをなくせばその分の層が消えてしまうことになるのだから、当然商業的には入れないわけにいかなくなる。しかしそれでも、限られたリソースの中で作品を作るにあたって、本来注力したいものでない作品価値としてのエロにどれだけ力を入れられるかというと、微妙なところだ。
 だからといって、安価に鑑賞できるアニメや漫画、ラノベなどと比して、高価なエロゲが顕わな作品価値――絵そのものやキャラの見た目の可愛さだけで勝負できるかといえば、これも微妙なところである。「宣伝においてエロの存在は強力な材料だ」と先に述べはしたが、実際は「エロがないと売れてくれない」と表現する方が正確なくらいのはずで、そうであれば、隠れた作品価値のある作品を生み出している多くのブランドにとって、商品価値となるエロの放棄は商業的成功の可能性を捨てることに等しいのである。こうして作品価値に徹しきれない粗悪な作品が氾濫し、その作品価値は「たかがエロゲ」レベルのものに留まり続けることになる。

 商品価値としてエロを入れなければ作品は作れず、かつ作品価値を評価される機会を得ることが出来ない。しかし、そのことによって作品価値は損なわれ、かつ芸術作品として広く評価される機会は奪われる。このジレンマが停滞を産み、「たかがエロゲ」という共通認識が誕生することとなるのである。
 このジレンマを解消する方法はただ一つ、エロがないと制作者が経営上やっていけないという状況を打破するしかないのであるが、具体的な方策は筆者には思いつかない。なぜなら、これは消費者と商品、鑑賞者と作品の関係性の問題であって、簡単な提案でどうこうできる問題ではないからだ。
 簡潔に言ってしまえば、芸術では食っていけない、それだけの話なのである。



5.エロゲにエロは必要か

 さて、本題に戻ろう。エロゲにエロは必要だろうか? あるいは、エロゲはエロゲである必要があるだろうか?
 この文での結論は、「制作者が商品を売り、作品を作っていくのには必要」である。エロはいらないという層がいくらいても、エロをなくしたところで商品として売れるようになるわけではないのだから。ポルノはもとより、そうでない作品にとっても、商品として売れるにはエロの存在が不可欠なのである。

 もちろん理想的にいえば、エロが必要かを決めるのは制作者次第のはずだ。しかし現実は、その作品に対する必要性に関わらず、エロを使って売っていくしかないのだ。売れない画家は、商品として売れる絵をたくさん描きながら自分の描きたい作品を少しずつ描いていくしかない。描きたい作品が売れる商品となる、そういうこともときにはあるだろうが、それは一つの恵まれた幸運でしかないだろう。そしてこの問題を真に解決しようとするなら、それはまさしく、芸術全て、あるいはあらゆる意味での創作の前に横たわる深淵を乗り越えようとすることに等しい。

 それを解決できない今、我々が心がけなければいけないことは、商品であることを作品の言い訳にしないことである。「たかがエロゲ」などと、制作者側も消費者側も口にしてはならない。ポルノならポルノの、芸術なら芸術の、キャラクターコンテンツならキャラクターコンテンツの矜持というものがあるはずだ。そしてその事実は、商品であってもそれは変らないものであるはずだ。そのことを忘れた方法でエロに甘んじ、作品の劣化を見過ごしていくのであれば、エロゲは、いつまでも「たかがエロゲ」に留まり続けることしかできないだろう。



※追記:
読み返すと「エロやりたくてエロを作ってる人」を軽視してるような文に見えますが、そういうわけではなく、むしろ「エロやりたいわけでもないのに職業的にエロを作ってる人」への懐疑というかそういう感じです。

もし「エロを入れなくても売れる」なんてことが現実になった場合、全年齢向け作品がどれくらい増えるのかなあと思ったりするわけですが、その辺は分かりませんね。
あるいは、逆に「エロ入れたところでエロゲでなんか生活できない」なんて世界でゲームを作る人がどれだけ残るのか、とか。
ついこの間の騒動のときも、ライターさん方の反応も大分冷めたものでしたし……。(ライター側の態度に)怒ってる方とか静観を決めていた方はともかくね。

こういうのめんどくさいから、同人っていいよな、などと。いや、こういったものを度外視できるものを同人に求めてると言った方が正しいか。
「作りたいから作る」「作らずにいられないから作る」的な。僕にとっての価値なんて、僕が楽しめるかどうかなんてどうでもいいから、そういう態度で作り続けてほしい。そうしたなら、僕はそこから勝手に拾い上げていきます。

インタビューズ 『同ソ界隈の展望予測』 について補足

そういえばこちらでは言ってませんでしたが、実は台鼎もThe interviews(質問者匿名自由質問サイト、的な)にユリイスの名前で登録してます。
去年プレイしたゲームの振り返りなんかもしてみました)

そこで先日も

Q.
コミケのサークル数も数年前に比べて半減していて同人界隈は今、冬の時代だと思います。ひぐらしの後釜として期待されたひまわりもそこまでのブームには至らず。この先、業界の牽引役となるキラータイトルが出るかどうかも含めて今後同ソ界隈がどうなるか展望予想や期待をお教えてください。


という質問をいただきまして、6kにも渡って長々と答えさせていただいたのですが、さらにちょっと補足を。
(以下、興味のある方は先にインタビューの方をご覧ください。益体もないことばかり言っておりますが……)



「春に比べて活気がなくなってるのなら、やっぱりそれは冬なのではないか」と自分で考えてて思ったのですが、それでもやはり自分には今が冬だなんて思いは湧かなくて。

だから、今よりもっと活気のあったかつての同ソ界隈は……夏、のようなものだったのではないかと。そう思ったりするのです。
人がたくさんいて、活気があって、陽気で、だれもが浮かれて。
けれど……その暑さや喧しさにうだってしまうようなことも、ときにはあると思うのです。

そしていまは、夏の暑さと熱気をちょっと懐かしく思う、秋のようなものなのではないかと。
秋は実りの季節です。夏に蓄えた栄養が実を結ぶ季節です。そこに花のような絢爛さはなくとも、それは確かに夏があったことの成果なのであり、そして次の世代へつながる種であるはずです。

これからは果たして、そのまま冬がやってきてしまうのか、亜熱帯のように冬を感じずに春がやってくるのか、僕には判りません。だから、ひょっとすると哀しい冬の時代がやってくることがあるのかもしれません。

けれど、いつか来るかもしれない冬に備えることと、今を冬だと悲観することは同義ではないと、僕は感じます。



あともう一つ。
個人的に○○フォロワーによって同ソ島が埋まってしまうのはなんだかなあと思ってしまうのですが、そんな中で気になっているのは
「戦記物」
を扱ってるサークルさんが結構多いこと。

戦闘機や、戦闘用ロボットなどによる戦争を描いた作品たちですね。また、騎士などの中近代的な戦争を描いたものを含めてもいいかもしれません。
商業ゲーでいうと……マブラヴオルタや群青があたるのでしょうか? ファンタジーではコンシューマのFEとかサガ、あたりだったり……?
とかく、確かに人気はあれど、明確に「これは~~の影響だな」なんて言うことの出来そうにないジャンルです。

これらは、必ずしもノベルに向いたジャンルではありません。戦闘機やロボットの戦闘を静止画で描くのには限界があるでしょうし、複雑な社会事情・情勢を文字だけで表現するのは情報過多になりがちで、さらにプレイヤーが展開にろくに介入できないのであれば、長くて苦痛なだけの作品になることもあるかもしれません。また、リアリティと燃えの表現の間でせめぎあうこともあるでしょう。

けれど。
立ち絵演出と熱いドラマで魅せたオルタ、独特の戦争観と早狩節がファンを虜にする群青。
そんな作品たちのように、面白くすることは不可能ではありません。

むしろ、そんな困難を打ち砕いたときこそ、それはビジュアルノベルとしての新しい一歩になりえるのだと思います。



そんな感じで、補足もとい蛇足な記事でした。

よかったらみなさんもインタビューしてみてくださいね!

商業同人についての覚書 後編

(初出:書き下ろし)

※前編はこちら

※長い割に下の方の簡単な図が結論なので読み飛ばしてそこだけ見てもなんら問題ありません。

※ここでいう「エロゲ」というのは「18禁」の「ノベル・ADV」ということを暗に含んだ表現で、たとえばツクール系のRPGなどは必ずしも想定していないこと、また「18禁」という要件は審査の有無に関して際立つものであってその他の観点においては全年齢作品も同様であることを捕捉しておきます。


【個人と企業】
 では「個人」かどうか、という基準を検討しよう。
 気をつけないといけないのは、純粋な意味の「個人」が、エロゲ製作という場においては主流ではないという事実である。文章・絵・プログラム・音楽・音声…などの複合体であるエロゲという形態を全て一人で作り、さらに広報も販売もするというのはかなりの重労働だ。フリー素材というものを使えば個人でも負担は減るがその分表現の幅が狭まってしまうゆえに、何人かの有志が集まったり、外部に委託したりすることで「サークル」を形成するというパターンが多い(それにそもそも素材を使った時点で個人と言えるかは微妙である)。
 この点はエロゲにおける「同人ゲー」や「同人サークル」という表現が原義と照らしても割としっくりきて使いやすい理由の一つではある。ただし、同人エロゲを包括する「同人ソフト」という系譜から見ると、この理解は必ずしも正しくないであろうことには注意。

 というわけで、いまの議論でいう「個人」の対立概念として単純に「複数」を持ってくることには意味がない。しかし「個人」の対義語はほかにも考えることができ、たとえば法人――その中でも営利社団法人である「企業」を想定すれば、確かに「商業」という言葉とも容易に関連付けられそうである。実際、「TYPEMOONが商業化」という言葉がさしたのは、このサークルが法人を設立したという事実であった(多分、当時を知らないので伝聞)。

 しかしながら、である。ある同人サークルがあったとして、私たちが「このサークルは法人になっていない」からそのサークルを同人サークルだと思っているか、といえばそんなことはない。
 たとえば、エロゲではないが超人気の某STGゲーサークルとか某ADV製作サークルとか、その規模からして個人ではありえないだろうことが容易に想像できるにも関わらず、依然として「同人サークル」と呼ばれるものは確かに存在する。そもそも、明言されない限り私たちはエロゲブランドが企業(の中での事業)であるか否かなどということを確認することを普通できないし、しないのである。

 ただ、同人という表現が浮ついていることが分かっている現状で、その対立概念となっている「商業」が定義しやすいこの基準候補をすぐに棄却するのは惜しい気がする。
 ということで次は、個人であるか企業であるかがどのようにして我々の眼に違って見えるのかを検討したい。

【流通と審査団体】
 企業が目指すのはいわずもがな経済的な利益である。となれば、細々と見つかるかも分からない自分のHPだけで通販、などというわけにはいかない。こと、生活上及び業務上必要になるわけでもない娯楽製品である「エロゲ」を生業にするのであれば、その単価などから考えてもコネクションがあれば製品を買ってくれる「上客」なユーザーが存在しえないのであるからなおさらである。
 かといって、莫大な手間をかけてユーザー一人一人に営業をかけにいくわけにもいかない。となれば必要となるのは、製品を店で売ること、つまり流通させることである。いわゆる「商業展開」だ。

 エロゲの流通先、あるいは小売店といえば、みんながよく知っているあの店だとかあの店だとかあの店だとかである。
 となると、エロゲという製品を売ろうとすればこの流通関係に営業していくわけであるが、このステップに進むためには一つ大きな壁がある。それは「審査」である。

 「ソフ倫」「メディ倫」などという団体の名前は、エロゲオタであれば聞いたことくらいはあるはずだ(メディ倫は現存せず、CSAあるいは映倫などとなっているが)。ソフ倫については陵辱表現規制などでニュースにもなったくらいである。
 これらの団体の主なお仕事はなんなのか、これもエロゲオタなら重々承知であろうが、ざっくり言えばエロゲの中身をチェックしてあの銀色のシールを貼ることだ。あのシールは「審査団体がちゃんと中身をチェックしましたよ」という証である。

 この審査はオタク業界への風当たりの強さから生まれた自主規制(あまりやばいものは業界が作らせませんよ、というポーズ)ではあるが、実際にはこの審査を通さないとエロゲショップで販売することができない、という方が正しい。ソフ倫(に加盟する流通会社)が流通(ショップ)にはたらきかけて未審査の作品の販売自粛をしているし、地方自治体によっては条例によって販売時の審査が義務付けられている場所もあるからである。

 すなわち、審査団体に加盟してその審査を通らなければ、エロゲはエロゲショップで流通させること――「商業流通」と定義しておこう――ができないのである。

 しかしながら、世には同人ショップというものが存在する。現在エロゲショップとそこまで変わらないぐらい規模で展開されていると思しく、そこで上手く展開すれば商業流通と大差ない程度の利益を生み出すことは可能そうだし、実際そのようにしてエロゲ企業なんかより長く続いていると見受けられる同人サークルもままある。また、店舗だけでなくDL販売という、企業・個人問わず割と簡単に商品を売るシステムは存在するので、「商業流通」は商業展開に必ずしも必要な存在ではない。
※ただし、これらの方法にも自主審査は存在し、たとえば猥褻物陳列罪にならないよう注意がはらわれていたりする。

 だが前編で述べたように、基本的には「同人レベル」の作品は商業ゲーに慣れたユーザーには見向きもされない。よく見れば大差ないことが分かるとしても、商業流通しているというだけで一定のクオリティを維持しているように見えるのである。商業エロゲであることがある種の「社会的ステータス」となっているのだ。

【げんじつにそくしてぼくがかんがえたさいきょうのぶんるい】
 これら「法人・個人」「流通方法」「審査団体」という基準で「商業」「同人」を区別するのは、客観的事実によるものであるので、現状に対して一定の意味を持ちそうである。
 しかし、上の議論から分かるようにこれの基準は必ずしも一致するものではない。というわけで、これらの基準でどのようにエロゲブランドが区別されえるかを図のようにまとめてみた。

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(表現の揺れがあるが「審査有」は「審査団体加盟」と同じ意味である)
(「同人流通」は今回「審査の必要な商業流通以外」、上記のものに加えて即売会や自家通販、フリー頒布なども含めた意味で用いた)

 本当なら三つの要件の○×で本当は8種類あるのだが、まず「商業流通」させるには審査が必要なので「商業流通・未加盟・法人」「商業流通・未加盟・個人」は除外している。
 ただし、たとえば竜騎士07などは、(少なくとも表向きには)個人製作で(PC版に関しては)審査団体を通さずにその作品を商業的に流通させているので「商業流通・未加盟・個人」の例ではある。しかしこれは『ひぐらしのなく頃に』が全年齢作品であったことによる例外である(先に述べたように、18禁作品であれば審査が義務付けられる)ので、考慮しない。

 また、ソフ倫の会員の要件には「個人並びに法人」とあるので、「商業流通・加盟・個人」「同人流通・加盟・個人」がひょっとしたら可能なのかもしれないが、かなり特異な例であるだろう。なぜなら流通なら個人業でもどうにかなるかもしれないが、個人業でエロゲを製品化して商業流通させるのはリスクが大きい(※)し、商業流通させないのであれば審査団体に加盟するメリットは存在しないからだ。
というわけで筆者は寡聞にしてその存在を知らない。もし存在するなら教えてもらえると嬉しい。
※個人業で大規模な経営をするときには、「債権義務が個人にかかり、無限大になる」「一定以上収入が増えると税金がかさむ」「グループ内での金銭授受が不自由」といったデメリットがある(らしい)。特に最初の点は、商業展開するほど大規模に商品を製造するにあたってはかなりリスキー。


【エロゲにおける商業同人とは】
 つまり、「その製品が商業流通していない企業」が商業同人と呼ばれ得るのではないか、というのが個人的な見解である(こんな結論にたどり着くのに長いことかかったなおい)。
 で、実はその中にも二つあることが上の分類で分かる。

<実質的商業>
 逆はできないが、審査団体に加盟していても同人流通させることは可能であり、実際にその例は存在する。
 18禁ではないが「自転車創業」なんかが分かりやすい例だろう。ソフ倫の審査を受けている歴とした有限会社のはずだが、なぜだか商業流通でお目にかかることはほとんどない(自分は一度も見たことがない)上に、即売会や同人ショップでは度々目にする。
 また、同人流通では未審査の製品、商業流通ではそれを審査済したものを売るという例もある。最近では元々同人流通だった『誰が殺したコマドリを』(スマイル戦機、株式会社ひつじぐも)がCSA審査で再発売された。

<企業同人>
 上に書いたように、上手くやれば商業流通させなくても利益は生み出せるので、企業が同人流通の場で商売をやってもおかしくはない。また、同人流通では規制がゆるやかなので、多少過激な描写や二次創作が許されるという利点もある。
 そして、「企業だからといって高品質とは限らない」のではあるが、企業の方が高品質の作品を作りやすいであろうことは自明である。だから、「同人レベル」がはびこる同人流通の場で、もし企業の力を使った「商業レベル」の製品を売り込めばそれは注目されるだろうし、商業流通の場で勝負するよりもずっと売り上げが見込むことができる、という視点を持つことも可能であろう。


 で、恐らく「商業同人」と揶揄されているものの多くが後者の「企業同人」なのであろう、と思う。
 確かに、企業という経済力を以て個人規模のサークルたちの市場が侵食されていくというのは我慢ならないことかもしれないし、筆者もどちらかと言えばこのような立場ではある。
 そして、これに比して単なる「プロ作家の同人活動」は非難されるいわれはないと思うのであるが、「企業の経済力とプロの経済力に違いはあるのか」と言われると答えに窮する。企業の金も元はと言えば個人の出資から出るものであって、それを増やしたのは企業努力の結果である。
 つまり、貧乏人の僻みといえばそれまでなのであって……。

【最後に】
 実態に即すと上の図の風に整理できるのではないかというのが結論であるが、これはまさしく「商業以外は全部同人」という視点、すなわち現在の「ユーザーから見た」言葉の使われ方から類推したものなのであって、言葉の原義に立ち返ろうというものとは対極のものである。
 だから、以前からこの界隈にいる人たちや、クリエイター側からすればふざけたものであるのかもしれない。が、言葉というのは定着した意味で用いられるものなのであって、もしこれを是正して「同好の士が集まるのが同人だ!」と言っていきたいのであれば、これらの言葉に代わるなんかしらの言葉を定義・提議して、広めていかなくてはならないのである。
 多分、結構難しい。

 とりとめのない文章となってしまったが、たかが覚書ということでここはひとつ勘弁願いたい(言い訳)。

商業同人についての覚書 前編

(初出:書き下ろし)

 同人ゲー界隈を眺めていると、「商業同人」という言葉に出くわすことがある。大体があまり良い意味で使われることのない表現だが、しかしよく見るとその使われ方は一定ではない。ということで一体どないな風に使われている言葉なのか、そしてそもそも商業と同人って一体なんなのか、ちょっと考えてみることにする。

【同人という言葉】
 同人というのは元々「同好の人(の集まり)」といったような意味で、いま使われている「個人製作」とか「アマチュア」だとかいう意味とは必ずしも一致しない(さすがにこんな辺境の文を読む人に同人=二次創作エロと思っている人はいないだろうが……)。

 そういう意味では「個人(の同人)サークル」というのは本来なら自己矛盾なワードなのだけれども、今ではすっかり定着している。しかし一方で、本来の意味であれば何もおかしくない「プロで同人」「商業で同人」という表現は、2011年のオタクとして生きる人々には違和感を催すものである。

 つまり「個人製作」だったり「アマチュア」だったりの作品が、私たちにとっての「同人」なのだ。そうなった経緯については、古くは(漫画などにおいて)アマチュアな個人の創作が同人を通して行われてきたから……という歴史的経緯があるらしいのだが、ここでは割愛する。

【エロゲ界隈での「同人」】
 エロゲ界隈の実態を鑑みると、やはり「同人」という言葉は、本来の意味を離れている。

 本来の「同好の集まり」という意味なら、脳内彼女とかライアーソフトとかも(外から見れば)同人と呼ばれてよさそうなものだが、彼らの作品が「同人的」と言われることはあっても決して「同人ゲーム」と呼ばれることは決してない。あくまでも彼らの作品は「商業ゲー」だ。そう、少なくともエロゲ界隈において、「同人ゲー」と「商業ゲー」は対立概念であって、明確に区別されるものなのである。

 しかしである。明確に対立するというのにやはり、先に述べたように「商業同人」という表現は存在する。それは商業や同人という言葉がよく理解されないまま使われているからである。感覚的にしか使われ方を理解してないまま対立概念であると思っているから「商業っぽいけど同人らしい」「同人っぽいけど商業らしい」(大抵は前者)という違和感が発生するのだ。「同人」と「商業」は明確に対立はしているが、それ自身が明確な概念ではないのである。

 では私たちは、なにを以て商業ゲーだ、同人ゲーだ、と言っているのだろう。
 先に、同人という言葉は「アマチュア」「個人」という意味で使われていると述べた。ならば、「プロ」や「非個人」であれば商業ということなのだろうか。

【プロフェッショナリズムとアマチュアリズム】
 プロ・アマという基準を考えてみる。
 プロというのはつまり職業作家のことで、創作活動によって金銭を得て生活している者のことをさすが、これの対立概念であるアマのことを考えるのは結構面倒臭い。こと作家性が求められる分野において、「職業意識の有無」「技術の巧拙」「趣味性の有無」「アマチュアリズムの有無」など、基準がいくらでも思い浮かぶ程度に、プロ・アマという言葉は区別がはっきりしない。

 職業意識や技術を基準にするとアマという言葉は、責任感や技術のない存在ということを意味することになる。確かにこういう意味でのアマを基準にして「同人」を定義している例は存在し、たとえば「同人レベル」と表現すれば、大概それは作品(あるいはブランドの活動自体)が見るに堪えないことを言っており、これが直感的な「同人ゲーっぽさ」の基準になっている面は少なからずある。
 ただ、あくまでそれは「っぽさ」のレベルであり、商業ゲーと同人ゲーがそのことによって区別されているかと言えばそうでないことは明確であり、実際、地雷と呼ばれる商業作品は事欠かないし同人でも高品質の作品はいくらでも存在する。

 趣味性やアマチュアリズムを基準すると、作家自身の創作活動への姿勢が問題となる。
 アマチュアリズム、つまり「金銭の授受を拒否する」「非営利主義」という基準でいくと、アマチュアの活動は全て無償で行われるということになるが、この意味でのアマを同人の基準にすると割と大変なことになる。そう、なんといっても「同人ショップ」という存在があるのだから!
 確かに、商業ゲーと呼ばれるものにフリーゲームはほとんどない。あったとしてもおまけや短編、あるいは過去作の再リリースである。しかし、同人ゲームの全てがフリーゲームかと言えば絶対にそんなことはないのは明確である。先に述べたように、同人ゲームを販売している店が津々浦々に存在するくらいで、多くの同人ゲームがシェアウェアとして発売されている。
 非営利主義=無償という過程が極端だとひょっとしたら思われるかもしれないが、決してそんなことはない。「好きでやってるから金なんていらない」というのなら、趣味にかかるお金は自分で負担しないといけないのだから。「好きでやってるから金はいらない、けど見合うだけの対価は欲しい」などという主張は営利主義と変わらない。
 そして付け加えれば、自身に利益が出るかに関係なく対価を受け取る時点でそのことに対する責任が発生するのであって、それはすなわち「プロ意識」の要請にほかならない。

 趣味性を問題にすると、「趣味性があるのはアマ、ないのがプロ」となる。この趣味性というのは「同好の集まり」という同人の原義に非常に親和性のあるもので、なるほど確かに、理想的な基準ではある。
 しかし原義に近いということは、つまり現状にそぐわないということだ。先に述べたように、趣味性の強いように見える作品だからといって同人と呼ばれるかといえば、決してそんなことはない。
 そもそも趣味性があるかどうかなどというのは内心の問題なのであって、本人以外には分かりえない。たとえば奇抜で一般受けしなさそうなタイトルがあったとして、それが好きなものを作ったからできたものなのか単に話題性による営利効果を狙っただけの産物なのか、原理的には作った本人以外は知ることができない。また同様に、一見消費者に媚びたようなタイトルがあったとしても、実はそれが彼らの本気で作りたいものなのかもしれない。
 この意味でのアマを基準にすると、「同人」は自称としてしか意味がない概念となる。しかし現状、趣味性のある作品が同人を自称しそうでない作品は自称しない、というのが徹底されているわけでは全くない。

 以上のように、プロ・アマの議論を用いて商業と同人を区別するのは、プロ・アマの区別がそもそも明確でない上に、現状にはそぐわないのではなかろうか、というのが筆者の見解である。

 付け加えになるが、アマチュアの趣味性やアマチュアリズム――利益を追求せずに、作りたいものを作ること――を同人の誇りにするならば、それが意味するところを覚悟しておかなければ壮大なブーメランになりかねない、ということには留意しておく必要がありそうである。
 たとえば、職業作家が趣味性やアマチュアリズムに依る創作をすることはなんら責められることではない。しかし実際、「プロ同人」などという揶揄など、単に技術の高い者に対する妬み嫉み僻みが現れているようにしか見えない批判も少なからずみられる。


To be continued...?

プレイ本数が同人>>商業なこじらせ系エロゲーマー。
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