「選択肢」がノベルとノベルゲームに生み出す最も本質的な違い - Togetter

物語がどこで確定するのか、そういう問題が語られます。
「作者が作ったとき」「(ゲームにおいて)読者が選択肢を選んだとき」「読者が鑑賞したとき」がこの流れでは挙げられています。個人的には、少なくともノベルゲームにおける選択肢が鑑賞行為に伴うクリックやページをめくる行為と区別できる気はしなかったりしますが、それを置いておいても、ここにもう二つ加えたいんですよね。
つまり「読者がそう確定したとき」「そもそも確定などしない」。

別にこういう発想は別に奇抜でも何でもなく、オタクなら普通に行なっている人も多いはずなのです。
最たる例は二次創作。BL界隈なんかで顕著ですが、劇中の幕間やら後日談やら、カップリングやら女体化やら、基本的には公式には存在しないあるいは矛盾する物語を妄想力で発展させているわけで、そういった中で「そんなのは作品に描かれてない!」と指摘するのはナンセンスです。描かれてないからこそ、改めて描くのですから。そうでなくとも、解釈や考察という作業がこれにほかならないわけで。
そして「読者がそう確定したとき」「そもそも確定などしない」の二者は両立しえます。読者には、解釈を撤回あるいは保留する力がありますから。いずれにしても、読者が鑑賞したとき、読者にとってそれが確定されたことだと認めるかどうかという自由が読者にはあるはずではなかろうか、と、そう思うわけです(能力的に可能かどうか――たとえばネタバレ情報を無視してプレーンな心情で読み進められるか――は別として)。
もちろん作品を勝手に改変するなんてという視点はあるわけで、著作権にはそれが反映されているわけですが、少なくとも読者の個人的な愛の注ぎ方ということにおいては、それは読者に託されるものであって欲しいと思うのです。
(ただしあくまで理想であって、自分自身それを実践できているかと言うと答えに詰まりもします。)

……と、読んだ当時からうん?と思っていたことをこの機に整理してみたのでした。しかし、読者側からこういうこと言うの、完全に増長感あってはばかられますね……。


また、自分はゲームを物語に合流させようという流れを歓迎する者であって(『セカンドノベル』『甘えむっ♪』などの影響)、一方氏は「ゲームならでは」を追求する態度からこういう考えに触れたわけなので、その差異というのは認識しておきたいところです。








というわけで簡易感想。5月に新作3つ買ったのもあり充実している。
ひょっとすると今年の商業新作プレイ数すでに6本って過去最高ペースでは……?と思ったら2011年の方が普通に多かった。


[作品一覧]
end sleep
らぶおぶ恋愛皇帝 of LOVE!!
SCHREI・TEN
逃避行GAME
君と彼女と彼女の恋。
石榴の時計 漸篇



<同人>
○石榴の時計 漸篇
大正ロマン館ミステリ事件編。耽美という感じではなく、線の太い漫画っぽい画風から生まれる可愛らしさ華やかさが良い。それだけにぶちまけ石榴やらが光ります――と言っても、ギャップがあってどうこうというわけでもないのが面白いんですよね。可愛いだけでなく仄暗さがあるというか。
話の流れ自体は特に奇抜なところもなく館で事件だーっという感じですが、キャラ同士のやりとりが丁寧で、楽しくも一物感じさせるものが多々あって読み応えあり。最後のあの人ェ……。割とみんな好感持てるから誰が犯人でも結構ショックやろうなあ。あと終わった後の作者さんのメッセージ(?)が何を暗示してるのか激しく気になるwwww
惜しいのはシステム周り。エンジンのデフォルトなのかもしれないですが、セーブロード呼びだすと途端に画面がSFチックになるのはいただけないかなと。せっかく独自の空気のある作品ですし。そして字が読みづらいのも難。



<商業>
・end sleep
妹ゲーだった。
……ネタバレなしで良かったところ悪かったところ端的に表現するとこうなってしまうんだ! プレイした人になら伝わるはずさ!
館モノっぽさにこだわってミステリっぽくなると安っぽくなるかなあと思いつつ、作中で主人公が登場人物たちに関して「頭が悪い」ことに自覚的な発言をしていた上、そっちには転ばないんじゃないかと期待してみたのですが、割と謎解き風味(手がかり発見時のピロロローンとか…)になって少々残念だったのが体験版以降。まあ、館モノならそうなるのが確かに普通なのですけどお……。また、殺人事件が起こって以降も特に理由なく「演技」が続けられるあたりやら、色々と緊迫感が足りなかったのももったいない。演技を続けさせるだけの有無を言わせない凄みが館側の人物にあればまた違ったと思うのですが。
個人的には、体験版時点で参加者同士の共通点がほのめかされていたことを起点にして、そちら側を掘り下げる方に向かった方が面白かったと思うんですよね。まあシナリオの方針として、館側を重視すれば雰囲気は出るのですが実際陳腐になりやすくて上手くやるのは難しいし、参加者側を掘り下げると別の舞台でのストーリーを上手く導入しなければなりませんから、難しいところだと思いはしますが。この作品に関しては、館モノとしての重厚さもあまりなかった(前述のこともさながら、そもそも登場人物の大半はフリーターや大学生ですし……)上に、しかし参加者側の事情がさほど掘り下げられるわけでもなく(静紅さんとか一体……)、なんだかどっちつかずだった感。
で、良かったところは妹。そう、妹です。メインヒロインは妹。妹可愛い。これだけで△→○の価値はあるかもしれない。しかし妹ゆえ攻略できない。ちくしょおおおおーー!!!!!(AA略)(まあ攻略可否の嘆きというよりは活躍機会の少なさに対するあれこれだったりしますが



○らぶおぶ恋愛皇帝 of LOVE!!
良くも悪くもはとシナリオだった!
などと言っても伝わらない気がするので説明すると、良いのはテキストのリズム&パワー! 『わーすと☆コンタクト』なんかで顕著でしたが、単にコメディではなく韻を踏みながら畳みかけるテキストと時系列の飛躍すら辞さないスピード感。必ずしも美点とはいえないのですけれども、たとえばひたすら滑り続けてるという評があるのを否定することはできません。が、それでも笑ってしまう人というのはそのスピードが異常なせいでいつの間に…という感じなのだと思っています、というか自分が初めて『Humanity』やったときがそんな感じでした。
一方悪いところというのは、「設定や展開の無闇な閉塞感」だったりします。『Dear World』『Humanity』なんかの初期?作品をプレイした人には伝わるんじゃないかと思いますが。ヒロインの根幹に空白――それも結構重大な事情による――があることによって、シナリオが進行していくうちに多大な虚無感閉塞感が作品を覆うようになり、もうコメディで全く誤魔化せていないレベルに達するという。先に挙げた二作ではこの部分が最終的に勝ってしまい、今作の特定ルートではハッピーエンドに押し込んだことでうやむや感がぬぐえない。この部分、決定的にはと氏の特長と合ってない気がするんですよね。『わーすと☆コンタクト』ではその辺がおくびにもでなかったので終盤で謎の感動があったりしたのですけれども。しかし、そこを「良かった!」と言える人が真のファンなんでしょうね。『Dear World』(はと氏デビュー作)を好きだと言ってる人は二人知ってるのですが、「あのシリアスがいいんじゃないか」と言ってましたし。
今までの作品より良くなってると思ったのはヒロインの可愛さですかね。ギギギさんなんかはそのシナリオの平易さ(深刻でなさ)も手伝ってなんだこの可愛い生き物みたいなことになってました。反面男キャラはちょっと雑だったかなあと感じなくもない。『Humanity』と同じバカ・カマ・保険医という取り合わせだっただけに。オカマの鑑・レンレンが恋しい。



○SCHREI・TEN(シュライテン)
中古屋店頭で一目惚れして買ってみた一作。こういう塗りだけでもう手に取ってしまうよお兄さんは……。そして確認すると『媚肉の香り』などの市川小紗氏であった。淫靡な現代劇もいいですがこの作品みたいなファンタジー絵ももっと見てみたいなあと思うも、昔のelfだったらできただろうが……とちょっと残念な気持ちに。
というわけでザッピングでお送りする剣と魔法のファンタジーなのですが、冒険譚というよりは「冒険野郎たちの日常」であった感。特にメインの二人とか全く敵みたいなのいなかったし。そのこじんまり感が特長ではあるのですけどもね。まあ深刻なストーリーにならないのはプロローグで設定&ヒロインの過去がダイジェストで送られた時点でお察しだった。しかし世界が「何らかの創造物」であることを匂わせたのに全くその辺消化されなかったな……。
あるキャラの視点をしばらく追ってから他を回収する、というやり方をしたので、レビューで良く見る「ザッピングの煩わしさ」は感じませんでした。それどころか「お前らそことそこでつながってたのかよ!」とちゃんとザッピングならではの驚きもありましたし。それより残念なのは、整合性がとれないんじゃないか疑惑があることですかね。一本道でない小エピソード群を選択して、その前後で「ああ、ここはああいう風につながるんだなー」という風に楽しむ形式なのですが、同じ時系列になりえないエピソード(あるキャラが死んでいる→生きている)がつながってないといけないような事態が起こったりするんですよね。脳内補完で「似たようなエピソードがあるってことでいいのかな」とすれば解決…!?



・逃避行GAME
優しくも閉塞的で捉えどころのない雰囲気に、若者の「逃避行」へ憧憬の情を上手く託している……のが冒頭なんですが、その他の魅力の感じられない設定の数々に興を削がれること多々。ニアとノルム関係はほぼ全部そう(まあ体験版時点で覚悟してましたが)。あんだけ特殊なモノを匂わせときながら、そちら側の事情掘り下げる展開に進むわけでは全くないですし、かといって「逃避行」そのものやそれに対する気持ちに関する描写も……。正直、ニア「今際の際の少女の逃避行」だけで充分だし、ノルムはえーと……なんだろうね()。日常的価値観に射影されない非日常要素って僕の一番苦手な類の設定なのでもうね。珠那覇さんも悪くなかったのに過去の設定周りのせいで途端にご都合な感じに。
心音シナリオは、ヒロインと問答しながら「何から、どうして逃げるのか」を延々続けながらこっ恥ずかしいイチャイチャという期待してたものそのものな感じだったんですが、パッチ当てないと読めないとか一体どういうことなの……。惜しいと思ったのは妹。他のルートにおける彼女には、「逃避行」における「還る場所」としての役割が与えられているわけで、自身のルートでもそういう他のルートではできない面を突き詰める、いわば他ルートに対するアンチテーゼのエピソードを盛り込めんでくれたら面白いのにと思ったのですが、近親相姦関係のお話に終始してしまったのがもったいないと。しかも割とあっさり解決しますしねえ。あっさり解決する伏線があったというのがまたもにょる。



○君と彼女と彼女の恋。
ゲームヒロインへの愛を問うような作品だったと思いますが、作品が証明を求めてくる愛の形、それは本当に愛なのか?という疑問が尽きず……という感じの感想を批評空間に投げました
追記するなら、「こういうのだって愛じゃないか!」と僕が主張したことというのは(少なくとも直感的には)極めて一方向的なので、そういう自分本位な態度にこそ問題がある(端的に言えば「ヒロインの気持ちを考えたことがあるのか」)と指摘することはできるかもしれません。しかしそうすると、この『ととの。』のような形(メタ+用意された選択肢を選ぶこと)の中に果たして双方向性が見出せるのかという話をしないといけなくなるわけで、この辺はもう『ととの。』内で議論では手に負えなくて、元長作品でのコミュニケーションの話や、『甘えむっ』に見出せる「物語とのインタラクション」の話を考えなければならないだろうと思います(まあさらに突き詰めれば意識のハードプロブレムになると思いますが、そっちに行くのは正にハードプロブレムなのでやめときます)。
で、ユリイスはどうしても『甘えむっ』の名前を挙げたいマンなので、物語とのインタラクションと絡めて述べてみますと。
仮にこの『ととの。』のような形によって双方向的な交流が実現していると考えるなら、その主体はヒロインそのものというより、選択肢を提供しているゲームプログラム、あるいはメタ性を有する「物語」それ自身ではないか、と(あまり掘り下げませんが)自分は考えています。その方が自分にはしっくりくるし、そうすることで『甘えむっ♪』の擬人化が単なる比喩ではなく直接的にイコールとして機能するであろうと。そしてその交流は、メタ性やプログラムによって初めて創出されるものではなく、あくまで強調されているものであるだろう……ということは「物語とのインタラクション」で述べている通りで、そこからどういったインタラクションが成立していくかは、これからのプレイヤーに託されているのでしょう。そのとき僕は、極めて一方向的な「愛」にも双方向性が見出せるんじゃないかと期待しているわけです。


純粋に疑問に思うのは、この作品で述べられたことを肯定した人が、今後どうやって美少女ゲームをプレイしていくのだろうということ。自分はもう否定すること(あるいは端から問題にしないこと)でしか前には進めないとすら感じてますが、そういうわけでもなさそうですよね。テーマを表現するための構造だったのか構造を表現するためのテーマだったのかは分かりませんが、どちらにしても、この視点から生まれるものというのを自分には見出すことができない。それがブレイクスルーなのかもしれませんが。