今日のエロゲソング:shing sky / 凛夏 (サマー☆すいむっ)

1年半ぶりにリリースされたSymphony.wavのアルバム収録曲から。ちょっと鼻にかかった声が特徴的なボーカルさん。
そういえば佐々木紅さん最近見ないのが残念。
あと『美少女万華鏡』とかTRYSET以外の作品の曲は今後もアルバムに入りそうにないのがちょっとさみしいかもしれない。



――と、半年ぶりに書いてみた冒頭企画。雑記といいつつ雑記じゃない更新が多かったせいだから。忘れたわけじゃないから。
感想がたまったところで適当に更新、というのがこれまでの雑記の常だったのですが、夏以降はゲームをプレイでき……ないほど忙しかったわけではないのですが、あまり捗らなかったという。

その間は、なぜかやる夫スレに傾倒してました。これがなかなか奥深くてですね。素材・設定の流用や共有が本質の作品群なので、現在の著作物に関する枠組みではアンダーグラウンドを超えることのできないジャンルなのではありますが、色々と楽しいです。一度紹介記事を書いてみたいところ。
まあ、過去スレを漁る作業も割と落ち付いてきたので、いまからは秋以降たまってる新作ゲームたちをプレイに集中です。

以下、やはり久々の簡易感想。
しかし、簡易といいつつなんか一作あたり1000文字くらいにはなってますよねこれ。よく見かけるレベルのエロスケの長文感想より長い。
でもまあ、整理しようとしてないので、やはり「簡易」の「感想」ということで。

[作品一覧]
らくえん~あいかわらずなぼく。の場合~
カガミハラ/ジャスティス -子供と◯◯と◯◯の話-2
窓辺の天使 -Un angelo della finestra- EpisodeI
少女と世界とお菓子の剣 ~Route of ICHIGO 1~
俺のレビューが単なる悪口のわけない



<商業>
らくえん~あいかわらずなぼく。の場合~
エロゲ制作者が抱えているエロゲそのものへの気持ちというのは、ブログやTwitterが普及した現在でも通常直接的に語られることのないものであって、実際語ってしまうのは野暮なことだと思います。だから、こうやってまさしく「エロゲ」をテーマとした作品を通じて、エンターテイメントとしてそれが伝えられるという機会は貴重なわけです。いままでエロゲをやってきて色んな事――作品の在り方とか演出がどうこうとか――を考えてきましたが、それくらいのことは当然、中の人にとっては通ってきた道なんですよね。また、様々なキャラクターが登場しますが、「ぼくらでエロゲを作りたい」という思いを抱えている点では、みんな変わらなくて。業界全てがそうであるというわけではないとはいえ、少なくともこの作品を作った人々がそう思っているだろうことが、そのことが作品を通して伝わってくることが、エロゲを愛するプレイヤーをひどく安堵させてくれる。

……というようなことも実際は一面でしかなくて、つまりは「あいかわらずなボクら」の「夢のような日々」と「Brotherhood」なんだよなあとか(B'zファン)。エロゲ知識皆無で全く訳が分からないとか嫌悪感を催すとかいうわけでさえなければ、別にエロゲ愛がなくたって、社会に生きる人間として感じ入るものがある人は多いんじゃないでしょうか。それが、「堕落」した者としてであれ、「堕落」できなかった者としてであれ。そういう意味では可憐ルートで語られる過去話が好きです。超短いですがその短さがいい(みかルートはちょっと蛇足だったかもなあという感触)。

(余談)実は以前に『THE BEAUTIFUL WORLD』(連悠太シナリオのTECH GIANの付録作品)をプレイしているのですが、一見すると全く違う様相でいて、通じるものは多かったような気がします。表に見える表情とは裏腹のどうしようもなさとか、テキストのオタク的軽薄さ(disではないです)とか。まあ、同じ作者と分かっているから言えるのでしょうが。

(さらに余談)語り種になっている(と思っている)DAI演出。ちょっとタイポグラフィというか文字を使った視覚効果に頼り過ぎな感がありますが、シンプルかつまさにセンスという感じで、好みな部類です。

"心の中でちゃんと激しく動いてるから。中途半端に動かれてもジャマなだけ。ヘンな演出なんか入れられたら醒める醒める"

と作中にありましたが、いやはや、全くもって。他方、連テキストは、「ためいき」と字で書くような台本的なものにも関わらず、声に出されるとちょっと違和感があって、声優さんの力量にも関わらず残念に感じるところが個人的に多かった。しかしテキストはテキストで味があるというのも悩みどころ。うーん、声優さんはテキストそのものを読む必要ないんじゃないかなあ――という可能性もあるかもしれない。映画字幕的な意味で。



<同人>
カガミハラ/ジャスティス -子供と◯◯と◯◯の話-2
夏コミで買えなかったので委託版。前回に続きツッコミどころから。ごめんなさい。
5章(?)で「常葉と遥のどちらかが嘘をついている」という太陽の判断について。遥の「ヒーローが兄である」というのは事実を述べたものではない不確定情報なのだから、「遥の持っている情報が真実ではなかった」ではなく「遥が嘘をついている」と判断するのは不自然ではないか。
同じ章?で遥の兄とアルバムの関係への言及について。三年生だというだけで「卒業」アルバムに載ってなくてはならない、と判断はおかしくはないか。関係者は「卒業するはずだった」と散々述べているのだから、卒業はしていないであろうことは分かっているはず。逆に入学者名簿とかなら絶対に載ってないといけないけれど。
遥の尾行中。「遥の」家と断言しているがその他の面子の家だとは思わないのだろうか? 先入観からそう述べただけ? それに、疑心暗鬼なのは分かるが友人宅に泊まること、あるいは同居しているがそこまでおかしいことだろうか?(訝しがる太陽もそうだが、太陽にばれて慌てる(そして易々と正体を明かす)遥たちにも違和感。普通表向きの理由とか用意されてるもんじゃないの?)
ヒーローと報道部の関係への疑念について。遥と常葉が運動の仲間だったという事実が――二人が友人関係であるという事実をさしおいて――ヒーローと報道部の癒着を決定づけるモノ足り得るだろうか、という話。二人の素性が怪しいと感じる材料にはなるけれども。
出会ったばかりの会長に対して「この男はやると言ったらやるタイプだ」などと評価を下してるのはどうしてか。さっきまで会長かどうかすら疑っていたはずなのに……。
ケンカ別れしたという設定、そしてその後実際にケンカ別れする遥と太陽が普通に会話してるのは問題ないのだろうか。
胡散臭さがにじみ出てるのはとても良くて、真実が明かされるのが楽しみな、いわばミステリのような面白さを期待するこの作風なのに、探偵の思考が論理的でないという噛み合わなさが辛い。やはり前回同様、分かってること分かってないことの整理がついてなくて、飛躍が多い一方でくどい部分も多くなってるいう印象。
ただこれらが全て――たとえば隠匿すべき内容の会議を隠れ家でなく食堂や教室で堂々とやってしまうような迂闊さをはじめとする――茶番臭さの一環なのだという可能性があるなら……って感じでしょうか。ほかの陣営に対して生徒会側が割としっかりしてるように感じる辺り意図的なのかもという期待。


窓辺の天使 -Un angelo della finestra- EpisodeI
不満なところはたくさんあって。
一番は、後編以降キャラクターたちの言動が不可解にすぎること。これから複数視点で謎が明かされるだろうということを踏まえても看過できないことが多い。息子が死んで泣き叫んでた傍から息子の死体の横で状況確認に冷静に受け答えするヨーゼフ医師はちょっとメンタル強すぎだし、目の前で知人が燃えているのに割と冷静だったかと思いきやその後他の死体を見たときにはちゃんと錯乱しつつしばらくすればやはり割と冷静になる子供たち……。そんな中で主人公がどうして、麻里が「カルロの死に動じなかったこと」「(他の人物よりも麻里にとって特別である)実の兄が死んだことで取り乱したこと」を比較してことさら追及するのかもよく分からないし、天使がどうたらと返答する麻里にも釈然としない。JOKERの喩え話も唐突に始まるし、犯人を見つけたところでどうなるのかなんて話もあの(犯人から身を守らないといけない)危機的な状況でやるようなもんじゃないだろう……。(白字反転)

プロットが先行しているのかな、という印象。サスペンスってことはキャラクターの心理状態の表現も大事なわけで。彼らにとってどれだけの出来事が悲劇足りうるのかという部分が不鮮明なままだと、今後感情移入できるかどうかというところに大きな不安が。これから全部説明されるのかしら? うーん、それを知るためにプレイしたくなるような魅力は感じなかったかなあ。
細かいところ(と言っていいのか分からないけど)では、前編で出てきた選択肢が全く意味が分からないこと。それぞれの絵は一体何を意味していて、どうして結局片方だけ選ばされるのかと。あとラザロって出会いのシーンってなかったよね…? 後編はじめたらいきなり出てきて困惑。多視点から描く物語なら、今回の主人公視点で起こったことはちゃんと描くべきなのでは……。それとも序盤では明かせない重大なイベントでもあるのだろうか?
おすすめエロゲソングに挙げてあるように、主題歌はとても好き。



少女と世界とお菓子の剣 ~Route of ICHIGO 1~
四部作(多分)の三作目として、そして最終章の一つ手前として、上出来。新しい要素をあまり出さずに、単一作品としてではなく最終章へのつなぎという役割に徹しながらも、その分個々のエピソードを、一作目二作目からひねりを利かせた展開で面白く魅せています。特に「偽りの事実を真実に見せようとするとき、人は必ず二つ以上の虚偽を忍ばせる」の言葉をはじめとした、ミステリとしての進化は見もの。まあ、出来がいいかというとよく分からんのですが(がっこうまいごなんかは陳腐さを感じてしまう)。
あとどうでもいいのですが、最近薄目が話題になってましたが、同人ゲークラスタが言及してるのを見つけるにつけ「いま薄目って言ったらマリー・セレスト号の嘘だろうがよ!」と言いたくなるのですがネタバレになるので言えないというジレンマ。(ネタバレ白字)
残るは最終章(のはず)ということで、そのうち考察もどき記事でも更新したいところ。



<フリー>
俺のレビューが単なる悪口のわけない
揶揄や皮肉で出来た作品なのかなあとタイトルを見たときに思いながらやってみると、想像より直接的で真剣な内容。主人公の思考行動が(多分悪意について多く言及しようとした結果だとは思いますが)ちょっと極端な気がしないでもないですが。

それで内容に関してといいますと。「有償作品に関してはともかく、フリーゲームというのは作者の趣味なのだから、それに悪意を持ってケチをつけるのは悪趣味ではないか」というのを軸として、ネットにおける批評と悪口についてあれこれ、という感じでしょうか。個人的にはちょっと納得しかねるところ。

というのも、フリゲ製作が趣味でしかないと言っても、それは人を巻き込む趣味なのだから、(悪意のあるないに関係なく)拙いことをしたら悪意を向けられるという可能性を覚悟せねばならんですよね。たとえば、コスプレが趣味な人が公共の場で他人を不快にさせるような衣装を着ていたならば、それが大通りだろうと路地裏であろうと公園だろうと、責められても仕方ないのです。「無料なんだから文句を言うな」というロジックは通用しません。パブリックじゃないと作中で述べられてはいましたが、ネットに上げるってのは言うまでもなく――近所の公園や路地裏と同等以上には――パブリックなわけで(パブリックじゃない、というのはたとえばクローズドなSNSとかそういうもの)。結局は、文句を言われたくなければ公開するな、という意見を否定する材料は存在しない。
ただ注意しないといけないのは、それはレビューをネットというパブリックな場に公開するプレイヤーも同じということですね。他人を不快にさせる行為を公共の場で働いたなら、やはり同等に糾弾される覚悟を持っていなければならないのです。特にレビューというのは、対象の社会的な評判を左右するという性質から(実際に起訴されるかは別として)名誉毀損罪にあたる蓋然性が高いらしく、より一層の注意が必要。「公共の利害に関することで、公益のために、事実をもってする」レビューなら問題ないようですが、真面目に満たすのは(特に無償作品に関しては公益という観点が)結構難しそう。とかく、肝に銘じたいことです……などとdis感想書いた下で言っても説得力がない。

ともあれ、叩き台としては良い作品だと思います。個人的にはもうちょっと婉曲的なやり方の方が好みかなあという気もしますが。関連作品があるようなので気が向いたらそちらもプレイしたいと思います。