(初出:2010年12月 紙媒体)




 かつてTeriosで活躍した藤木隻氏が数年ぶりに美少女ゲームのシナリオを手掛けるということで、彼の作品の中でも名作と呼ばれるこの『ELYSION』というゲームについて筆をしたためることにしたい。

 このゲームを、あえて端的に表現するなら「インテリメイドゲー」である。
 地中海に浮かぶ孤島の館に医者として招かれた主人公が、その屋敷と住人たちに秘められた謎を知ることになっていく……というのがこの作品のあらすじなのであるが、その館の住人たちの繰り広げる会話の内容は、欧州を中心とした国々の風土や科学、宗教や軍事にいたるまでの多岐に渡り、全てを理解するには相当の前提知識が要求される(もちろん、その都度調べれば分かることなのではあるが)。これはメインヒロインとなるメイドたちについても決して例外ではなく、攻略対象であるメイドたちもが、それぞれに深い知識を持った教養人なのだ。このことは、一人を除いたヒロインの母国が舞台となるイタリアではないにも関わらず、彼女らが富豪の住む館でそつなく振舞っているということからもうかがい知れる。
 またこの作品においては、メイドという存在そのものについても深い考察がなされている。メイドの原義「MAIDEN」(処女)まで遡り、主人とメイドの主従関係をアガペーになぞらえることで絶対なる主従愛の美しさを語っているのである。作中では恋人ルートを選ぶとバッドもしくはノーマルエンドとなるような場合も多く、「恋愛」というぐらついた概念と比較してメイドという存在の尊さを描いたことが、非常に特徴的だ。
 これらの点は、萌えの属性や色恋の対象、あるいは奴隷性の象徴としてメイドを用いた昨今のゲームとは一線を画すところだ。なればこそ、単に「ああなるほど、メイドさんがたくさん出てくるゲームなのか」と軽い気持ちでこの作品に触れれば必ず、繰り広げられる考察に、そして作品の持つメイドに対する気迫に圧倒されることになるだろう。

 さて、この作品のシナリオは、こういった特徴を素地とした二本の軸から構成されている。一つは「心とは何か」という哲学的考察であり、もう一つは欧州社会における文化問題へのアプローチである。
 前者は、たとえばメイドと主人との関係における「自由意志」の価値や、あるいは脳と身体の医学的・生物的な関わりなどについての考察である。それらが単に垂れ流されるだけでなく、謎めいた館の歴史にまつわる因縁に乗せて語ることで、サスペンス的な娯楽性を保ちながらもそれだけに留まらない示唆に富んだシナリオを形成している。
 後者についての最たる例を挙げるなら、民族問題への言及であろう。この作品には日本人、イタリア人、ドイツ人など様々な人種のキャラクターが登場する。その中でも特にイングリッシュとアイリッシュの敵対関係は世界観の根底に流れる問題であり、複数のシナリオにおいて「イギリスとアイルランド」の関係がキーファクターとして登場する。また、発売当時大きな話題となっていたユーゴスラヴィア(本作の発売は二〇〇〇年、NATOによるユーゴ空爆の翌年である)をまさに「テーマ」にすえたシナリオも存在し、こういった諸問題を豊富な知識を土台に丁寧に物語られることで、この作品は衒学的というだけでない社会的作品の様相を見せている。
 この二つの軸に支えられた物語は、まさしく「インテリゲー」と呼ぶにふさわしく、楽しくも興味深いものだった。ただ、惜しいことがある。それは、この二つの軸が結局のところ交わらないということだ。
 確かに、設定上は綿密に絡み合っている。医学的考察が加えられる部分においては、あるアイルランド系団体にまつわる事件が背景に存在しているし、館の主人が各国からメイドを招いているという事実には民族的な事情が隠されている。だから表向きにはこの二つは乖離しているように見えないのであるが、二十近くある各シナリオのテーマは大抵二つの軸の「どちらか」に集約されてしまうのだ。だから、この作品全体に対し考察を加えてみようとなると、最終的にこの作品で大事だったものは果たして何だったのだろうか、となってしまうのである。
 このことに関して私が思うのは、「メイド」という存在をもっと――特に文化的側面に関して切り込んでいけたならよかったのにと、いうことである。メイドは歴とした文化である。博識なこの製作陣ならメイドが欧州社会においてどのような形で根付いたのかについても言及することもできただろう。しかし、この作品におけるメイド像は精神論に留まってしまった。確かにその考察は素晴らしかったが、そこに実際的なメイド像を加えることができたなら更にこの作品の「メイドゲー」としての価値は高まっただろうし、そこを足がかりとしてこの作品の軸を「メイド」の名の下に一つの柱へと統合することも可能であったのではないか。
 発売から十年経ったこの遅きに、私はそんな風に妄想してみるのであった。



※後注:
猫撫で「元長と組む」という状況に期待が高まったのは、こういう特徴を感じたからでした。主題の相性もさることながら、上手くお互いの欠点?を補ってくれるんじゃないかなあと。