ジャイアニズムに言及しておきながら&しれっとサポーター登録しておきながら関連記事を書いてなかった『黄雷のガクトゥーン』関連の更新をついに!

そんなわけで、体験版の感想を軽く書かせてもらおうかなと思います。


黄雷のガクトゥーン応援中!


割とスチームパンクシリーズをプレイ済みな方向けの文章になってる気がしますが、ひょっとしたらなっていないかもしれません☆


■物語について
最も強く感じたものは
不安」あるいは「不穏
のようなものでしょうか。
何がと問われると説明しにくいのですが、人物の地盤?とかそういう感じのモノ。

このシリーズの特徴として、その土地に生きる人々の息遣いが感じられるような雰囲気、というものがあります。セレナリアなら訪れるそれぞれの街の、インガノックやヴァルーシアならその街、シャルノスではロンドン、ソナーニルでは地下都市(あるいは「遺物を通して」という少々特殊な描かれ方ですが、ニューヨーク)。
なればガクトゥーンでは舞台となる学園都市の、ということになるところなのですが。ところが、個人的な感想ではありますが、少なくとも体験版の範囲では、学園都市での生活臭というものがあまり漂ってきません。というのも、主人公が学園都市での生活を伝える存在になっていないのです。
いままでのシリーズの主人公って、それぞれの舞台に関して全くの無知である「来訪者」か、その舞台に根差した「住民」であるかのどちらかなのですよね。具体的に挙げれば

【来訪者】
セレナリア(既知世界から未知世界セレナリアへ逃亡する少女たち)
ソナーニル(廃墟ニューヨークを行く女性、地下世界で塔を目指す記憶喪失の少女)
【住民】
インガノック(インガノックで巡回医療を行う青年)
シャルノス(ロンドンの碩学院に通う少女)
ヴァルーシア(ヴァルーシアで発掘機関の清掃を生業としている少年)

主人公が来訪者であればその舞台との「新しい出会い」としてその舞台が印象的に描かれますし、住民であれば彼らの描かれ方自体が舞台そのものを象徴することになります。

それで今回の主人公ポジションであるネオンはというと、
「二週間前にマルセイユ洋上学園都市へ入学した新入生」
です。
住民としての生活を想像させるには日が浅すぎ、来訪者というには「学園都市に組み込まれている一員」という印象が強すぎる、そんな微妙な立ち位置。さらに言えば、一章で描かれた彼女の生活は「存在しないとされる」二級学生という特殊な立場のそれである上、それすらもヒーローたるテスラの手によってその章の内で終わりを告げるわけで(つまり、ネオンにとっての学園生活は二章以降から始まる)。
このことによって、ネオンというキャラの背景にあるものがどうしても不鮮明にしか見えてきません。しかも何やら直近に色々あったらしいことが示唆されていることで、ネオンというパーソナリティそのものよりも、その後ろにあるだろう不鮮明で不穏な背景に思いを馳せずにはいられなくなるという(同時に、ネオンのパーソナリティへの理解そのものも少しぼやっとしたものになる)。そして体験版段階では、統治会など普通でない設定がたくさんあるにも関わらず、どのキャラの背景についてもあまり言及がないので、基本的にどのキャラについてもその地盤や生活臭があまり感じられません(体験版では最初に三章をプレイできるのですが、他に良い章はなかったのかしらと思わなくもない)。

そしてそこでさらに被さってくるのが、この学園都市のディストピア感。
心理迷彩や「全自動学習機関」なる洗脳装置にしか見えない代物、卒業の形でしか学生たちは外に出られないという設定、そしてそもそも学園都市がシリーズの黒幕的扱いを受けている西インド会社のものであるという事実……。さらにはテスラの「運命に呪われたお前たち、全員――私が、この手で、救ってやる」なる台詞。
ここまでされたらなんかもう、この学園アレだなあという気しかしないじゃないですか。

そんな中から自分が感じ取ったのが、人物の背景みたいなものに関する不安や不穏のような感覚、なわけです。

6年制の学園という設定でゲーム期間も一年ということもありますし、今までのような「その舞台に生き、死んだ人々の物語」にはなりえないだろうなあという気はします。どちらかといえば見たままのイメージ通りの学園モノ青春モノらしく、抗って壊す少年少女の物語、という方がしっくりきそう。
だったなら、その点が今回"Beautiful"ではなく"Shining"である理由なのかな、という風にも思いますね。

(僕自身はそうは思ってないですが)マンネリだという声が時折聞こえてくるこのスチパンシリーズですけど、そんな中で今回新風を感じる人は多いんじゃないでしょうか。

(余談)
そういえば用語辞典眺めてて思い出したのですが、「史実の書」っていつか有効活用されるのかなあ。あれ結構作品世界の見方に関わりますよね。


■演出やら画面やらについて
なんかふと振り返ると最近演出関連の記事ばかり投稿してるので一応の言及を……(とは言っても、そんなに語ることがあるわけではないですが)。

画面サイズは今までの800×600からワイド――ではなく、1024×768と各辺1.28倍の従来の縦横比のまま大画面に。これがなかなかよくてですね。
前にも言及している通り、スチームパンクシリーズでは画面の片側半分に大きなバストアップを表示するのですが、画面サイズが大きいことでなかなかの迫力(と表現していいのか……?)。僕のPCのディスプレイは縦768なので、画面の上から下まで等解像度のキャラがドーンと表示されてくれるわけです。バストアップで半分が埋まるのでワイド画面にありがちな画面上の寂しさもなく、非常に生き生きと場面場面を表現できているように感じました。
「画面なんてこれ以上大きくしたところでそこに詰める要素がなけりゃなあ」などと最近多いワイド画面に疑問を持っていたのですが、これなら問題ないかな、と思います。ビジュアルノベルにとっての最適な画面というのはやはり4:3なのでしょう、少なくとも現在の演出においては。

演出に関して言うと、立ち絵や背景の使い方を初め基本的には”らしい”のですが、一点大きく違いを感じさせるのは、動画が要所要所にはさまれることでしょうか。全自動学習での機関がギュインギュインしてる動画みたいなのは過去作ではまずなかった。
今作のコンセプトとして、スチームパンクとしての原点回帰というか、セレナリアのような「蒸気機関!」的な要素を掘り起こしていく、というようなことがあるらしいのですよね(ジャイアニズムのインタビューの恣意的な解釈)。原画は機械のディティールも細かく書き込むタイプで、塗りもやはりその方向に合わせてあります。
視覚的に蒸気機関ヒャハーしようと思ったら、やっぱりこう、歯車やピストンがガシャコンガシャコンしてるところが不可欠ですよね! 今回の雰囲気でやるのはコンセプト的に正解なんじゃないでしょうか。……もし大石原画AKIRA原画の絵本的絵画的な雰囲気でやられたら興醒めもいいところなのですが。

あとそれにも多少関わると思うのですけど、今作では(少なくとも一章を見る限りは)普通にバトルをするっぽいのですよね。
しかし、まあ普通のバトルを表現するにはやっぱりライアーの演出は不向きなんじゃないかなあという感覚を改めて受けました。スーパーロボットっぽいものも出てくるので割と戦闘に尺が割かれるではないかと思われるのですが、昨今のバトル系作品の演出と比較すると、少々ドン臭い感があるのは否めない。
アクロバットに画面を動かせない中で戦闘を描くのに、様式美戦闘というのは割と理に適ってたのだろう、というのを切に感じます。けれども、今回のコンセプトではガジェットやらキャラクターをきちんと描くことに意味があると思うので、いつも通りにするわけにもいかない。先述のような動画も一戦闘ごとに用意するわけにもいかないでしょうし……。
ほかの方法としては、DiesAAのラストバトルなんかの様子を話に聞くとそういう手段もあるのかと思いますけれど(自分ではプレイしてないので語りはしませんが)、そちらも今回のコンセプトでは厳しそう。

個々の話をすると、オルトロス登場シーンのパリーンと割れるところの効果なんかはシンプルな使い方ながら印象的で結構お気に入りです。
……というか個人的に画面が割れる演出好きなんです。(良い例がパッと思い浮かびませんが)ワイルドアームズセカンドイグニッションとかのバトル突入とか大好き。

(結局ダラダラ語っているこの人……)





――そういえば予約がまだなのでやっておかねば。店舗によってはもう特典付がないところもあるらしいという噂。
僕はFC会員なのであまり関係ないですけどね!(店舗特典多すぎて回収を諦めた勢)