ひまわり アクアアフター

(初出:2010年10月 紙媒体)




 2010年夏、人気同人ゲーム『ひまわり』の待望のFD『ひまわり アクアアフター』が発売された。本編にて人気を集めたヒロイン・アクアのルートの後日談を描いたこの「初の正当なアフターストーリー」によって、外伝やメディアミックスを広げて続編の構想を匂わせながらも一向に進展を見せないやきもきした状況から、ついに『ひまわり』ファンは脱却することができたのである。
 しかしこの『アクアアフター』が発表されたとき、実は否定的な意見がいくつか上がった。それは主に二つの視点からによるものだ。
 一つは、美少女ゲームにおけるFD(ファンディスク)の位置づけだ。一般にFDというと、多少違いはあれど、主人公とヒロインが紆余曲折あって結ばれた後の後日談――つまりはイチャラブを提供するものが普通である。しかし、ファンの中には「ロリっ娘宇宙人同棲アドベンチャーを銘打ちながらSF大作として名をはせた『ひまわり』に、今更そういうものは求めていない」という者も少なからずいるのである。
 もう一つは、何故『ひまわり』に続編が求められていたかというところを問題にしている。『ひまわり』におけるアクアルートは真相が明かされる転の部分にあたり、続編が望まれていたのは完結編にあたる明香ルートであったのだ(この詳しい事情は、実際に本編を最後までプレイしてもらえればお分かりいただけると思う)。それなのに、それを差し置いて人気キャラを使ってFDを作ろうなどとはどういうことだ、ということである。
 総合すると、「中途半端なファンサービスはいらない」というのがこれらの意見の主なところであり、実のところ筆者もこのように考えていた。しかし、この『アクアアフター』というFDは、そのような悪い期待を大いに裏切ってくれるものであったように思う。

 『ひまわり』本編の大きな魅力の一つに、宇宙科学というロマン溢れる題材を扱いながら、その中で複雑な愛憎劇など生臭い人間関係を克明に描いたという点がある。夢だとか愛だとかに振り回されて破滅に向かっていく英雄や天才たち、ボロボロになってもなお前を見続ける子供たちが紡ぎだす人間ドラマは、背景にある宇宙開発や生物倫理といった壮大なテーマと相まって非常に見ごたえのあるものだった。
 この『アクアアフター』だが、ルートの問題で科学などのテーマ性は多少弱まっているものの、キャラクターたちの葛藤という点においては本編と遜色ない出来であっただろう。解決編ではない「アクアルート」の末に結ばれたアクアと主人公・陽一の前には数々の問題が待ち受けている。決して綺麗とはいえない激しい感情の数々、二人の世界の内に留まらない様々な思惑が渦巻いてたどり着くその結末には、誰もが衝撃を受けることだろう。
 そして、である。そこには「秋桜」という少女が密接に関わってくる。続編と噂があった『COSMOS』(※注)の主人公と目されていた少女であり、まさに続編が望まれていた理由が彼女に存在するのである。劇中、本編エピローグにて彼女が残した意味深な言葉の真相が語られ、それがアクア・陽一の命運を決定的に動かすことになる。このことにより、私たちが続編に求めていたものが概ね果たされてしまったのだ。「続編を差し置いて」というちっぽけな怒りは、あっさりとその居場所をなくしてしまったのだ。

 このように、私のように『ひまわり』のFDということに不信感があった人間にとって、この作品は望ましい――むしろ続編と呼ぶことも出来るものだった。ただ一方で、この物語の結末は決してハッピーエンドとは言えないほど登場人物たちの心に深い傷を残すもので、ある意味で「蛇足」と言われても仕方のないものであり、アクアのFDとして期待していた人間にとっては辛いものがあるかもしれない。
 しかし、ライターであるごぉ自身が「蛇足かもしれない」と自覚しており、さらにはこのFDの発売後に「自分の中で長い間止まっていたひまわりの物語が、本当のハッピーエンドに向けて、再び回転を始めました」と発言している。だから、このFDに満足した人間も満足してない人間も、今後の『ひまわり』の動向に注目して、真に「よかった」といえる結末が迎えられる日が来るのを見守ることにしようではないか。『ひまわり』という物語は、まだ終わってはいないのである。

※発売した次の春のエイプリルフールにて発表されたタイトルで、後日公式ページにて「ありえない」という旨の発言をしていた。