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(初出:2010年10月 紙媒体)




 半端マニアソフトの第四作、『Indigo』。制作年数四年の末に完成したこの作品は、木緒なち、TGZ SOUNDS、蒼樹うめ、片霧烈火などといったそうそうたるメンバーが顔を揃える同人というレベルを超えた……「プロの犯行」ともいえる規模で開発された。実際のところ、CG・音楽・ムービー・演出・システムなどの要素はどれも高い品質を誇り、その意味では紛れもなく「商業レベル」の作品であった。
 しかし同人ゲームファンである筆者は、同人と商業の違いというのはそういったパーツの質ではなく、シナリオであると考えている。つまり、商業的な成功とか批判とかいうことを度外視して、その作品の中でライターの書きたいものが書かれている、というのが同人らしさであるということだ。
 その視点から見て、この『Indigo』はどんな作品であっただろうか。そのことに言及するには、半端マニアソフトの過去作との関連を――今作が過去作と世界観を同じにしていることを抜きにしても――考える必要があるだろう。

 先にも書いたように『Indigo』は、半端マニアソフトの第一作『冬は幻の鏡』(以下、フユガミ)と世界を同じにしている。とある高校での幽霊騒ぎを発端とした騒動を綴った『フユガミ』の数年後に、『フユガミ』とはまた別の街に続々と集まる「妖怪」「殺人鬼」などといった存在が引き起こす事件を彼らの深い因縁を絡ませながら描いた物語が『Indigo』なのだ。『Indigo』の作中で『フユガミ』の人物や用語が多分に登場するなど、表面的に見ても両作品には深い関わりがある。
 しかしそれ以上に重要なのは、両作品とも複数視点を用いた作品であるということである。『フユガミ』は一つの時系列に対して放送部の悪友たち三人の視点に最終ルートを加えた四視点によって構成されていた。そして『Indigo』では、基本的に同じ時系列に対しては三ルート、そしてその中で十人を越える登場人物の視点が錯綜し、さらに過去編の視点が加わる。また、ここに第二作である『空の上のおもちゃ』(以下、空ちゃ)を加えた三作には、過去を意識したシナリオという関連を見つけることが出来るだろう。いずれの作品も、数年あるいは歴史とも呼べるほどの時を遡ることで、人物同士の背景にある浅からぬ因縁が描かれている。
 そしてそれらを、スラングすらも多用して人物の主観を率直に語る渡辺僚一の強烈な癖のある一人称テキストが紡ぐことで生まれるものというのが、「魅力的なキャラクターたち」にほかならない。メインキャラのみならずサブキャラクターまでもを、複数の視点から濃密な一人称と背景描写によって描写することで、キャラクターたちの魅力を、そして彼らがその上で生きている物語の深みを与えているのである。

 『フユガミ』『空ちゃ』における先述の特徴は、正に同人的であった。不可欠な要素であるテキストのアクは非常に人を選ぶものであったし、登場人物も同様に粗野であったり変態であったりと美少女ゲームというジャンルにおいては到底理想的とはいえない造形であった。そして、やはりライター自身も『空ちゃ』に関しては「自分の好きなことばっかり書こうと思った」と語っている。
 そしてこの『Indigo』はといえば、である。やはり人物たちは個性たっぷりの面々であったが、二十人もの数がいれば普通に可愛い・格好いいキャラというのも少なからずいて、さらにテキストも過去作に比べて幾分か大人しめとなっていた。ライターの癖が色濃く残るものではあったものの、そのほかの商業レベルの要素に釣られてこの作品に触れたとしても違和感ない程度のものであった。
 そして残念なことに、その代わりとして登場人物の掘り下げと物語の深化という点が犠牲になっていたと、筆者としてはそう感じざるを得なかった。確かにキャラクターのやりとりは楽しいし立ち回りも面白いのだが、強烈なインパクトを残すものはさほど多くはなかった。そこでさらに登場人物の多さが災いして、シナリオの特徴である複数視点・過去視点をもってしても各々の濃い書き込みができていないように思われた。

 今作は、確かに見た目に違わぬ商業レベルの作品と仕上がっていたのかもしれない。しかしそれは、このサークルの持ち味でもあった同人らしさを損なうものであり、結果的に両者が互いに嚙み合っていなかった、というのが筆者の思うところである。