(初出:書き下ろし)

※前編はこちら

※長い割に下の方の簡単な図が結論なので読み飛ばしてそこだけ見てもなんら問題ありません。

※ここでいう「エロゲ」というのは「18禁」の「ノベル・ADV」ということを暗に含んだ表現で、たとえばツクール系のRPGなどは必ずしも想定していないこと、また「18禁」という要件は審査の有無に関して際立つものであってその他の観点においては全年齢作品も同様であることを捕捉しておきます。


【個人と企業】
 では「個人」かどうか、という基準を検討しよう。
 気をつけないといけないのは、純粋な意味の「個人」が、エロゲ製作という場においては主流ではないという事実である。文章・絵・プログラム・音楽・音声…などの複合体であるエロゲという形態を全て一人で作り、さらに広報も販売もするというのはかなりの重労働だ。フリー素材というものを使えば個人でも負担は減るがその分表現の幅が狭まってしまうゆえに、何人かの有志が集まったり、外部に委託したりすることで「サークル」を形成するというパターンが多い(それにそもそも素材を使った時点で個人と言えるかは微妙である)。
 この点はエロゲにおける「同人ゲー」や「同人サークル」という表現が原義と照らしても割としっくりきて使いやすい理由の一つではある。ただし、同人エロゲを包括する「同人ソフト」という系譜から見ると、この理解は必ずしも正しくないであろうことには注意。

 というわけで、いまの議論でいう「個人」の対立概念として単純に「複数」を持ってくることには意味がない。しかし「個人」の対義語はほかにも考えることができ、たとえば法人――その中でも営利社団法人である「企業」を想定すれば、確かに「商業」という言葉とも容易に関連付けられそうである。実際、「TYPEMOONが商業化」という言葉がさしたのは、このサークルが法人を設立したという事実であった(多分、当時を知らないので伝聞)。

 しかしながら、である。ある同人サークルがあったとして、私たちが「このサークルは法人になっていない」からそのサークルを同人サークルだと思っているか、といえばそんなことはない。
 たとえば、エロゲではないが超人気の某STGゲーサークルとか某ADV製作サークルとか、その規模からして個人ではありえないだろうことが容易に想像できるにも関わらず、依然として「同人サークル」と呼ばれるものは確かに存在する。そもそも、明言されない限り私たちはエロゲブランドが企業(の中での事業)であるか否かなどということを確認することを普通できないし、しないのである。

 ただ、同人という表現が浮ついていることが分かっている現状で、その対立概念となっている「商業」が定義しやすいこの基準候補をすぐに棄却するのは惜しい気がする。
 ということで次は、個人であるか企業であるかがどのようにして我々の眼に違って見えるのかを検討したい。

【流通と審査団体】
 企業が目指すのはいわずもがな経済的な利益である。となれば、細々と見つかるかも分からない自分のHPだけで通販、などというわけにはいかない。こと、生活上及び業務上必要になるわけでもない娯楽製品である「エロゲ」を生業にするのであれば、その単価などから考えてもコネクションがあれば製品を買ってくれる「上客」なユーザーが存在しえないのであるからなおさらである。
 かといって、莫大な手間をかけてユーザー一人一人に営業をかけにいくわけにもいかない。となれば必要となるのは、製品を店で売ること、つまり流通させることである。いわゆる「商業展開」だ。

 エロゲの流通先、あるいは小売店といえば、みんながよく知っているあの店だとかあの店だとかあの店だとかである。
 となると、エロゲという製品を売ろうとすればこの流通関係に営業していくわけであるが、このステップに進むためには一つ大きな壁がある。それは「審査」である。

 「ソフ倫」「メディ倫」などという団体の名前は、エロゲオタであれば聞いたことくらいはあるはずだ(メディ倫は現存せず、CSAあるいは映倫などとなっているが)。ソフ倫については陵辱表現規制などでニュースにもなったくらいである。
 これらの団体の主なお仕事はなんなのか、これもエロゲオタなら重々承知であろうが、ざっくり言えばエロゲの中身をチェックしてあの銀色のシールを貼ることだ。あのシールは「審査団体がちゃんと中身をチェックしましたよ」という証である。

 この審査はオタク業界への風当たりの強さから生まれた自主規制(あまりやばいものは業界が作らせませんよ、というポーズ)ではあるが、実際にはこの審査を通さないとエロゲショップで販売することができない、という方が正しい。ソフ倫(に加盟する流通会社)が流通(ショップ)にはたらきかけて未審査の作品の販売自粛をしているし、地方自治体によっては条例によって販売時の審査が義務付けられている場所もあるからである。

 すなわち、審査団体に加盟してその審査を通らなければ、エロゲはエロゲショップで流通させること――「商業流通」と定義しておこう――ができないのである。

 しかしながら、世には同人ショップというものが存在する。現在エロゲショップとそこまで変わらないぐらい規模で展開されていると思しく、そこで上手く展開すれば商業流通と大差ない程度の利益を生み出すことは可能そうだし、実際そのようにしてエロゲ企業なんかより長く続いていると見受けられる同人サークルもままある。また、店舗だけでなくDL販売という、企業・個人問わず割と簡単に商品を売るシステムは存在するので、「商業流通」は商業展開に必ずしも必要な存在ではない。
※ただし、これらの方法にも自主審査は存在し、たとえば猥褻物陳列罪にならないよう注意がはらわれていたりする。

 だが前編で述べたように、基本的には「同人レベル」の作品は商業ゲーに慣れたユーザーには見向きもされない。よく見れば大差ないことが分かるとしても、商業流通しているというだけで一定のクオリティを維持しているように見えるのである。商業エロゲであることがある種の「社会的ステータス」となっているのだ。

【げんじつにそくしてぼくがかんがえたさいきょうのぶんるい】
 これら「法人・個人」「流通方法」「審査団体」という基準で「商業」「同人」を区別するのは、客観的事実によるものであるので、現状に対して一定の意味を持ちそうである。
 しかし、上の議論から分かるようにこれの基準は必ずしも一致するものではない。というわけで、これらの基準でどのようにエロゲブランドが区別されえるかを図のようにまとめてみた。

47ed09d3.jpg


(表現の揺れがあるが「審査有」は「審査団体加盟」と同じ意味である)
(「同人流通」は今回「審査の必要な商業流通以外」、上記のものに加えて即売会や自家通販、フリー頒布なども含めた意味で用いた)

 本当なら三つの要件の○×で本当は8種類あるのだが、まず「商業流通」させるには審査が必要なので「商業流通・未加盟・法人」「商業流通・未加盟・個人」は除外している。
 ただし、たとえば竜騎士07などは、(少なくとも表向きには)個人製作で(PC版に関しては)審査団体を通さずにその作品を商業的に流通させているので「商業流通・未加盟・個人」の例ではある。しかしこれは『ひぐらしのなく頃に』が全年齢作品であったことによる例外である(先に述べたように、18禁作品であれば審査が義務付けられる)ので、考慮しない。

 また、ソフ倫の会員の要件には「個人並びに法人」とあるので、「商業流通・加盟・個人」「同人流通・加盟・個人」がひょっとしたら可能なのかもしれないが、かなり特異な例であるだろう。なぜなら流通なら個人業でもどうにかなるかもしれないが、個人業でエロゲを製品化して商業流通させるのはリスクが大きい(※)し、商業流通させないのであれば審査団体に加盟するメリットは存在しないからだ。
というわけで筆者は寡聞にしてその存在を知らない。もし存在するなら教えてもらえると嬉しい。
※個人業で大規模な経営をするときには、「債権義務が個人にかかり、無限大になる」「一定以上収入が増えると税金がかさむ」「グループ内での金銭授受が不自由」といったデメリットがある(らしい)。特に最初の点は、商業展開するほど大規模に商品を製造するにあたってはかなりリスキー。


【エロゲにおける商業同人とは】
 つまり、「その製品が商業流通していない企業」が商業同人と呼ばれ得るのではないか、というのが個人的な見解である(こんな結論にたどり着くのに長いことかかったなおい)。
 で、実はその中にも二つあることが上の分類で分かる。

<実質的商業>
 逆はできないが、審査団体に加盟していても同人流通させることは可能であり、実際にその例は存在する。
 18禁ではないが「自転車創業」なんかが分かりやすい例だろう。ソフ倫の審査を受けている歴とした有限会社のはずだが、なぜだか商業流通でお目にかかることはほとんどない(自分は一度も見たことがない)上に、即売会や同人ショップでは度々目にする。
 また、同人流通では未審査の製品、商業流通ではそれを審査済したものを売るという例もある。最近では元々同人流通だった『誰が殺したコマドリを』(スマイル戦機、株式会社ひつじぐも)がCSA審査で再発売された。

<企業同人>
 上に書いたように、上手くやれば商業流通させなくても利益は生み出せるので、企業が同人流通の場で商売をやってもおかしくはない。また、同人流通では規制がゆるやかなので、多少過激な描写や二次創作が許されるという利点もある。
 そして、「企業だからといって高品質とは限らない」のではあるが、企業の方が高品質の作品を作りやすいであろうことは自明である。だから、「同人レベル」がはびこる同人流通の場で、もし企業の力を使った「商業レベル」の製品を売り込めばそれは注目されるだろうし、商業流通の場で勝負するよりもずっと売り上げが見込むことができる、という視点を持つことも可能であろう。


 で、恐らく「商業同人」と揶揄されているものの多くが後者の「企業同人」なのであろう、と思う。
 確かに、企業という経済力を以て個人規模のサークルたちの市場が侵食されていくというのは我慢ならないことかもしれないし、筆者もどちらかと言えばこのような立場ではある。
 そして、これに比して単なる「プロ作家の同人活動」は非難されるいわれはないと思うのであるが、「企業の経済力とプロの経済力に違いはあるのか」と言われると答えに窮する。企業の金も元はと言えば個人の出資から出るものであって、それを増やしたのは企業努力の結果である。
 つまり、貧乏人の僻みといえばそれまでなのであって……。

【最後に】
 実態に即すと上の図の風に整理できるのではないかというのが結論であるが、これはまさしく「商業以外は全部同人」という視点、すなわち現在の「ユーザーから見た」言葉の使われ方から類推したものなのであって、言葉の原義に立ち返ろうというものとは対極のものである。
 だから、以前からこの界隈にいる人たちや、クリエイター側からすればふざけたものであるのかもしれない。が、言葉というのは定着した意味で用いられるものなのであって、もしこれを是正して「同好の士が集まるのが同人だ!」と言っていきたいのであれば、これらの言葉に代わるなんかしらの言葉を定義・提議して、広めていかなくてはならないのである。
 多分、結構難しい。

 とりとめのない文章となってしまったが、たかが覚書ということでここはひとつ勘弁願いたい(言い訳)。